木桶はかつて日本の日用品

「風が吹けば桶屋が儲かる」といった諺があるくらい、かつて日本には桶屋が多く存在していました。

何しろ桶は使い道が豊富です。

小さいものでは軒先に水を撒く手桶や風呂桶、ご飯を入れておく御櫃(おひつ)から大きいものになると高さ3~4mの醤油仕込み桶まであります。

葛飾北斎の富嶽三十六景では尾州不二見原で大きな桶を作っている風景が描かれていますね。

桶は指物といって釘を使わずホゾや継ぎ手によって組み立てられます。

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組み合わせると円形になるよう、木の側面を削り、最後に箍を嵌めて固定します。

この箍を外すとバラバラになるのが桶の特徴。

ちなみに精神状態が壊れた人のことを「タガが外れた」と慣用句で使いますが、その由来は桶の箍から始まっています。

箍によってバラバラになる利点といえば、材質の一部が損傷しても、その部分だけを交換すれば再び使えること、また古くなっても表面を削れば組み立て直せることです。

日本の伝統文化であるリサイクルが活かされているわけですね。

昭和初期まではどの町や村にも必ず桶屋や指物師がいて、桶の修理を依頼することができました。

この伝統的な文化が衰退したのはプラスチックや樹脂製の登場からです。

大量生産、大量消費時代の始まりですね。

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