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語呂合わせ満載の御節料理その1

御節料理の基本構成は祝い肴三種に焼き肴、酢の物、煮物(煮染めとも言います)です。

これらの祝儀料理は例によって日本伝統の語呂合わせから素材や料理が決められています。

では、代表的な例からご紹介しましょう。

■祝い肴三種

黒豆、数の子、田作りまたは叩き牛蒡で、豆はマメに働けるように、黒は黒く日焼けするほどとか道教における邪気を祓う色という意味で用いられます。 続きを読む 語呂合わせ満載の御節料理その1

歳神様に振る舞う祝儀料理

歳神様を迎える準備ができたら、自分たちの正月を迎える準備です。

まずは御節(おせち)料理。

御節料理は本来、正月だけのものではなく中国から伝わった五節供の祝儀料理が庶民の間に広まったもので、五節供の中でもっとも重要とされていた元日節会から正月に行われるようになりました。

また歳神様に祝儀料理を振るまい、その後に共食するという意味合いもあって、御節料理を年明けからではなく、歳神様が訪れる大晦日から食べる風習の地方もあります。 続きを読む 歳神様に振る舞う祝儀料理

鏡餅は歳神様の依代なので応接間に飾りましょう

門松の次は歳神様の依代、つまり正月の間は居場所となる鏡餅です。

飾り方は地方によって異なりますが、基本は大小2つの丸餅と橙(だいだい)、それから干し柿を串に刺した串柿となります。

この形は日本神話における三種の神器を表しています。

天孫降臨の際、ニニギノミコトがアマテラスオミカミから授かったという鏡、玉、剣のことですね。

お分かりのように餅は鏡、つまりこれが鏡餅の語源で、橙は玉、串柿が剣となります。 続きを読む 鏡餅は歳神様の依代なので応接間に飾りましょう

門松の竹を斜めに切ることの始まり

家康が奇襲を用いて鶴翼の陣で攻めようとしたところ、それを予想していた武田信玄は魚鱗の陣で対抗、武田側わずか200名の死傷者に対して徳川側は2000人を超え、徳川家康は討ち死に寸前まで追い込まれながらも浜松城に逃げ込みます。

これが三方ヶ原の戦いの簡単な顛末。

年が明けて、信玄から家康に書簡が届きます。

「松枯れて竹たぐひなきあしたかな」

松は松平、つまり徳川家康の旧姓を表しており、松(家康)は枯れる(滅ぶ)が竹(武田)は安泰、という意味の俳句が詠まれていました。 続きを読む 門松の竹を斜めに切ることの始まり

門松の竹の話は三方ヶ原の戦いから

門松の中央に竹を配置するという由来は定かではありません。

実際、現在でも神社が配る簡易版は若松に紅白や金銀の水引を蝶結びにした、竹を配置していない門松もあり、必ず竹を入れなければいけないというものでもありません。

門松の行事が始まったのは平安時代、門松の竹に関する有名な逸話が生まれたのは戦国時代なので、日本人特有の伝統を変化させる風習が慶事なので松だけでなく松竹梅をすべて盛り込んだこと、武家社会の鎌倉時代になって、力強さを表現するために真っ直ぐ上に伸びる竹が中央に配置されたことは十分に想像できるでしょう。 続きを読む 門松の竹の話は三方ヶ原の戦いから