門松の竹を斜めに切ることの始まり

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家康が奇襲を用いて鶴翼の陣で攻めようとしたところ、それを予想していた武田信玄は魚鱗の陣で対抗、武田側わずか200名の死傷者に対して徳川側は2000人を超え、徳川家康は討ち死に寸前まで追い込まれながらも浜松城に逃げ込みます。

これが三方ヶ原の戦いの簡単な顛末。

年が明けて、信玄から家康に書簡が届きます。

「松枯れて竹たぐひなきあしたかな」

松は松平、つまり徳川家康の旧姓を表しており、松(家康)は枯れる(滅ぶ)が竹(武田)は安泰、という意味の俳句が詠まれていました。

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信玄公、もとより家康を戦う相手として認めていなかっただけに、完全に上から目線です。

これに怒った家康、「松枯れで武田首なきあしたかな」と返しましたが、それでも怒りが収まらず、新年の門松に飾られていた水平の竹を斜めに削ぎ落としたといいます。

これが現在の門松に飾られる斜めに切った竹の始まり、つまり「そぎ」の原型と言われています。

もっとも、竹の「そぎ」は正面から見ると笑った顔にも見えるので「笑う門には福来る」という説もあります。

しかし徳川家康、武田信玄に比べると俳句のセンスがないですね。

武将として相手に見ていなかったのも分かる気がします。

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