門松の竹の話は三方ヶ原の戦いから

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門松の中央に竹を配置するという由来は定かではありません。

実際、現在でも神社が配る簡易版は若松に紅白や金銀の水引を蝶結びにした、竹を配置していない門松もあり、必ず竹を入れなければいけないというものでもありません。

門松の行事が始まったのは平安時代、門松の竹に関する有名な逸話が生まれたのは戦国時代なので、日本人特有の伝統を変化させる風習が慶事なので松だけでなく松竹梅をすべて盛り込んだこと、武家社会の鎌倉時代になって、力強さを表現するために真っ直ぐ上に伸びる竹が中央に配置されたことは十分に想像できるでしょう。

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前述した戦国時代における門松の竹における有名な逸話とは、徳川家康と武田信玄の「三方ヶ原の戦い」後日談です。

三英傑の一人として数えられ、海道一の弓取りと称された家康も群雄割拠の戦国時代はとくに優れた武将というわけではなく、織田信長と同盟関係でありながら実質的な配下に収まっており、猛将武田信玄には一言坂の戦いや二俣城の戦いで敗走するなど苦渋を飲まされている関係でした。

三方ヶ原の戦いは、その武田信玄の上洛とそれを阻止する織田信長に協力する形で参戦、しかし強力な武田軍と対峙して家康最大の敗北を喫した戦です。

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