戦後から変わった日本の結婚式事情

「ナシ婚」の理由のひとつに「見世物になるのがイヤ」という答えがありました。

そも、日本の結婚式の歴史を見ると家族間のつながりを強める意味を込めて結婚式を執り行っていた時期があります。

まったく結婚式を行わない「ナシ婚」、独自性の強いハウスウェディング系、さらに低価格帯の結婚式と、家族間のつながりではなく結婚する本人同士が楽しめる挙式や披露宴が増えていることは、家族からの独立という意味では喜ばしいことでもあります。

神前挙式と洋式披露宴のハイブリッドは戦後から都市部を中心に始まりました。

これは戦後の都市部生活様式と深い関係を持っています。

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戦前、一部のアッパークラスを除いて結婚式は新郎、新婦どちらかの家で執り行うのが一般的な風習でした。

それが都市部の住宅事情とアッパークラスの結婚式が情報として一般庶民に流れたことからハイブリッド結婚式が始まったのです。

1960年、当時、俳優として絶頂期を迎えていた故・石原裕次郎さんと北原三枝さんの結婚式は東京・日比谷の日活国際ホテル(現存せず。跡地にはペニンシュラホテル東京が建っている)で行われ、報道陣の数240名、招待客400名という当時としては空前の規模を誇る結婚式が報道されました。

ちなみに石原裕次郎さんは黒のモーニング、石原三枝さんは金襴緞子の純日本風花嫁という、究極のハイブリッド。

日本人がテンガロンハットを被って2丁拳銃をぶっ放すハイブリッド日活映画を彷彿させる結婚式でした。

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