言葉に宿ったケネディの魂

1962年(実際には1961年にケネディ大統領は議会でアポロ計画について演説を行っています)、ケネディ大統領は60年代の終わりまでに、人類を月へ運ぶ、と約束しました。

それはソ連よりも先に月へ行く、という意味でもあります。

アメリカ国民は多いに高揚しましたが、しかしNASAのアポロ計画はけっして順調とはいえず、1966年のサターン1B型の軌道実験でも軌道を外れるという失敗を犯しています。

そして1967年、アポロ1号の発射予行練習を行っていた時に電気系のショートによって船内純粋酸素が引火、船長ガス・グリソム氏以下2名が火災によって死亡するという事故が起きます。

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開発途中の死亡事故は研究の中止や長期の休止につながるところですが、アポロ計画は火災究明のために、わずか20ヶ月中断しただけで再開、1968年には年4回というハイペースでアポロ計画を推し進め、その後はご存じの通り、1969年7月16日、ついにアポロ11号がソ連を追い越し、人類初の月面着陸を達成しました。

演説の翌年、1963年11月22日にダラス州で暗殺されたケネディ大統領の言葉通り、人類は、アメリカは月面に到達したのです。

もし、ケネディ大統領の演説がなかったら、60年代の終わりまで月に到達する、という約束がなかったらどうなっていたでしょう?

もちろん、人類は月面に到達したでしょう。

しかし、それがアメリカだったのかソ連だったのか分かりません。

ひとつ言えるのは、NASAが個人となったケネディ大統領の言葉を、約束を守ろうという強い意思があったからこそ達成した偉業と考えられること。

言葉に宿った魂が生き続けた、とも言えます。

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