願掛けで実現した京都の飢饉救済

京都で起きた御所千度参りの続きです。

天皇や貴族が幕府の政策に口を出すのは禁中並公家諸法度違反になるので、どれほど御所千度参りをしたところで政策が変わるわけではありませんし、庶民がそれを知らないわけでもありません。

それでも庶民が御所千度参りをした、ということはそれだけ幕府に対する信頼が薄かったことでもあります。

最初に動いたのは現在、最後の女帝となっている後桜町上皇。

時の光格天皇はまだ10歳になったばかりで、二代前に当たる後桜町上皇は光格天皇の指導など後見人的役割を担っていました。 続きを読む 願掛けで実現した京都の飢饉救済

大飢饉の年に起きた御所千度参り

お百度参りぐらいでは願掛けが通じない、やはり本気で願掛けするなら千度でなければ。

その事例が御所千度参りです。

時は江戸時代の天明7年。

天明と打ちこわしが有名ですね。

とくに7年は冷夏や浅間山噴火、江戸の大洪水に加えて政策が庶民と富裕層で格差が大きかったことから飢饉や不満から江戸の町では大暴動が起きた年です。 続きを読む 大飢饉の年に起きた御所千度参り

日本人なら一度は聞いたことがあるお百度参り

お百度参り。

この言葉を聞いたことがある人は多いはず。

強い願い事がある時、神社仏閣で100回お参りすることですね。

気が向いた時にフラッと神社仏閣に行って合計100回だから、ではお百度参りにはなりません。

まず神社仏閣の入り口から拝殿・本堂まで行き、正式な参拝と願掛けを行い、入り口まで戻るまでを1回とし、これを連続して1日100回することでお百度参りとなります。 続きを読む 日本人なら一度は聞いたことがあるお百度参り

願掛けをするのはそこに神様がいるから

苦しい時の神頼み。

困った時は苦しい時、誰でも自力解決できないと思って神様や仏様に願い事をしたくなりますが、このことわざは普段、信心深くない人が困った時や苦しい時だけ神社仏閣に行って願い事をするという事例が転じて、困った時や苦しい時だけ、それまで疎遠だった親類縁者、あるいは友人に助けを求めるという意味です。

別不信心な人が困った時や苦しい時だけ神様や仏様に頼っても、神様や仏様はその願いを受け入れないほど心が狭いわけではありません。 続きを読む 願掛けをするのはそこに神様がいるから

願い事は自分の強い思い

本当に願い事をしてそれが叶うのなら・・

その思いを自分で一生懸命叶えようとする心を持つということは、凄く!とても!自分の気持ちを強くするものです。

高校生の時、絶対にこの人の側に居たいって思って、一緒に合宿にいきたい気持ちを強く持って、レギュラーになれたとか。

絶対に同じ大学にいくんだって思って、一生懸命頑張って、同じ大学に進学できたとか。

人の思いというのは強くて、真っ直ぐであればあるほど、伝わるものなのです。 続きを読む 願い事は自分の強い思い

みんなの願い事