織田信長の兵農分離

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商売を繁盛させるために目先を利かせることは何より大切ですが、先立つものがなければ始まりません。

かといって成功者の誰もが最初から先立つものを持っているわけではありません。

織田信長にしても織田信秀の嫡男でこそあったけれど織田家の本家ではなく、庶流の出、本来ならば戦国の武将というよりも地方の官職程度の家柄でしかなく、天下布武など夢のまた夢、的な立場に過ぎませんでした。

織田信長は文字通り兄弟縁者と骨肉の争いを繰り広げた挙句、ようやく織田家当主になりましたが、当時の織田家情勢は家督相続で騒動を繰り広げていたために周囲の大名から領地を狙われているといった状態です。

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この状況を打破したのが、かの有名な桶狭間の戦いですが、織田軍には森可成や柴田勝家といった歴戦の強者がいただけでなく、血気盛んな佐々成政や前田利家といった若き勇猛な兵力があったことが勝因。

少ない兵力で大軍を破った織田軍ですが、信長は総合的な兵力の弱さを実感、兵力を強くするために、兵農分離という政策を始めます。

当時、大名の側近武将を除くと、多くの兵士は半農で戦があれば参加、それ以外の時は農作物を育てなければならないことから、戦は農閑期に行うのが習わし。

それでは当然、兵士は強くなりません。

そこで採用したのが兵農分離です。

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